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シニア世代へ 「いいね!」が少ないのは当然

自分は注目されている、と思う方がおかしい 60歳からの「しばられない」生き方③

世間体は自分体である

 そんな世間を気にするのが世間体である。昔は「世間体が悪い」という言葉を聞いたものだが、最近はあまり聞かれなくなった。

 世間体を気にする者より、おまえはもう少し世間に気を遣えよといいたくなるような世間無関係派が増えてきたということか。

 だが、世間体という言葉は消滅しかかっているにしても、人の心のなかには依然として世間が棲んでいるようだ。世間の目など気にするな、といったかたちで。

 こんなことをいったら(したら)どう思われるか、こんな格好をしていたらどう見られるか、こんな暮らしをどう思われるか――みじめだなとか、かわいそうにとか、さびしいんだなとか、バカなんだなとか、哀れだなとか、金がないんだろとか、ただのケチなんだとか、気が弱いんだなとか、思われるのではないか。男らしくないとか、なにもできないとか、老けてるなとか、じじいばばあだとか、汚いとか、太ってるなとか、行くところがないんだなとか、笑われているのではないか。

 すべて自分がつくりだした妄想である。そう妄想するにはそれなりの根拠がないわけではない。この社会では、こうすればこう思われるといった「世間の目」が雰囲気として作られているからである。

 わたしたちは大きくなるにつれて、いつの間にか、その「目」を自分のなかにもってしまうのである。つまり、自分もまた世の中や世の人を、その「目」で見ているのだ。世間体を気にする人は、世間の価値観を内在化しているのである。

 つまり世間体とは自分体である。世間体を気にするとは、実体のない世間を相手に独り相撲をとっているのである。

「ネクラ」だの「結婚適齢期」だのが世間的価値として定着すると、だれかに直接いわれなくても、そういう目で自分を見るようになる。これらは少し薄れてきたが、まだ「女のしあわせは結婚」という価値観は残存している。これを内在化してしまうと、そこから抜け出すのは容易ではない。「老いらくの恋」は善悪どちらともいえず、両義的である。

 自分のなかの「世間の目」を気にするあまり、こう思われているのではないかという気持ちを抑圧し、反対に、こう思わせてやると自己アピールするものが出てくる。

 さり気ないものなら、まだかわいげもあるが、おれは偉い、おれは強い、おれは大物だと居丈高になると始末に困る。世間の目を恐れて行動が萎縮するのも、過度なアピールになるものも、自分自身の自由のなかで生きているのではなく、世間の目のなかで生きていることはおなじである。

 自分が思っているほど、世間はあなたのことを気にしていない。

 まったく気にしていないといっていい。あなたのことなど、どうでもいいのである。

 個人のブログやフェイスブック事情がどうなっているのか知らないが、閲覧数が少なかったり、「いいね!」が少なかったりしてがっかりする人がいるらしいが、あたりまえのことである。自分は注目されている、と思う方がおかしいのである。

〈『60歳からの「しばられない」生き方』より構成〉

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勢古 浩爾

せこ こうじ

1947 年、大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に入社、 34年間勤続し、2006年に退職。以後、執筆活動に専念。 著書に『いやな世の中』(ベスト新書)』、『まれに見るバカ』(洋泉社・新書y)、『自分をつくるための読書術』(筑摩書房)、『定年後のリアル』(草思社文庫)シリーズ、『ウソつきの国』(ミシマ社)など多数。


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